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「ライフ・イズ・ビューティフル」と悪の凡庸さhttp://longtailer.blog96.fc2.com/blog-entry-92.html">「ライフ・イズ・ビューティフル」と悪の凡庸さ
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「ライフ・イズ・ビューティフル」と悪の凡庸さ
ロベルト・ベニーニの「ライフ・イズ・ビューティフル」を見終わったときの感想を説明するのは難しい。
この映画の美しさに涙し、感動したのも事実だが、同時になんともいいようのないざらりとした引っかかりを感じたのもまた事実なのだ。この気持ちをどう整理していいのか分からず、あれこれ考えているのだが、まだ納得のいく答えは得られていない。

ロベルト・ベニーニ扮する主人公グイドは、チャップリンの主人公を髣髴とさせるような自由人。まるで子供がそのまま大人になったような、何事にも縛られない自由な魂の美しさをそのまま体現したような人物です。やがて彼は家族ともどもナチスのホロコーストに巻き込まれる。しかし、グイドの自由な魂は、ユーモアと想像力を武器に強力なファンタジーを作りだすことによって、残酷な現実から愛する家族を守ってゆく。彼の作り出すファンタジーが、ホロコーストの現実を圧倒していくところが見所で、感動をよびます。

この映画はコメディの形態をとっていて、後半になるとひとつのファンタジーとしてホロコーストを扱っています。このことに対して、ベニーニはホロコーストという歴史をメタファーに変えているという批判があることを後で知りました。なるほど、たしかにこの批判は当を得ているように思います。被害者も加害者もまだ生存していて、総括の終わっていないホロコーストをメタファーとして一般化してしまうのは、作家として批判を受けてもしかたないことなのかもしれません。

しかし、この映画のホロコーストの扱い方の中で、もっと評価してよい点があることにも気づきました。

映画の意味を探求するには、物語の中の「破綻」や「ひっかかり」を見つけるのがコツです。では、「ライフ・イズ・ビューティフル」の中のひっかかりとは何でしょうか?

それはこの映画の登場人物の一覧表を良く見ると見えてくると思います。一覧表の中にひとりだけ、この映画の中に存在するはずのない、存在してはならない人物が隠れているのです。その登場人物とは誰か?

コメディとして始まり、どんな悲惨な現実も明るさとユーモアとバイタリティで圧倒し、そこに感動が生れる「ライフ・イズ・ビューティフル」。この映画の中でホロコーストの悲惨な現実は、あくまでファンタジーの背景、メタファーに過ぎません。ですからどんなに残酷な場面が出てきても、ファンタジーの繭に包まれた私たち観客は安全な地帯に退避されています。ナチスの毒ガスもマシンガンも我々を脅かすことはできません。

ところが登場人物の中に一人だけ、いとも簡単にこのお約束を破って、ファンタジーの繭を切り裂いて私たちの咽元を脅かすとんでもない人物が交じっているのです。

もう種明かしをしますね。その人物とは、グイドに「先生」と呼ばれるドイツ人の医者です。この「先生」ほどとんでもない人物を私は見た事がありません。

「先生」は映画の中に二度登場します。はじめて登場したとき、「先生」はグイドがウェイターとして働くレストランの常連客です。知的で紳士的な「先生」は、なぜかクイズのマニアで、グイドと互いにクイズを出し合ったりします。客とウェイターという立場を超えて、彼らふたりの間にはたしかな友情と尊敬が育まれていることがわかります。

映画後半になって「先生」はもう一度画面に姿を現します。このときもグイドと先生はウェイターと客という立場ですが、ここでは「先生」はナチスの制服を着ているのです。グイドとの友情で、「先生」は影響力を行使して囚人のグイドをナチスのパーティーのウェイターに抜擢するのです。グイドにとって「先生」は、収容所生活の中に差し込んだ唯一の希望でした。なんとか「先生」の力で自分たち家族の命を救って貰いたい。グイドは当然、そう期待します。

ナチスのパーティーのさなか、「先生」はグイドに秘密裏に「重要な話し」があるといい、自分からの合図をまてと伝えます。先生からの合図でそっと近くによりそい、「重要な話」に真剣に耳を傾けるグイド。しかし「先生」から伝えられた「重要な話し」とは、なんと「クイズの答えが分からない」ということだったのです。

この「先生」が画面に現れる二度の場面、グイドを取巻く世界の状況は天国と地獄ほど変わっているのに、「先生」だけは何も変わっていない。グイドやその家族の悲劇など、所詮は他人ごとなのです。グイドに妻が居る事にすら「先生」は何の関心も寄せません。「先生」にとってのグイドとの友情はクイズ友達以外の何物でもないのです。この「先生」の無関心さ、想像力の欠如には慄然とさせるものがあります。事実、どんな悲惨な状況をもユーモアと想像力で克服してきたグイドでさえ、「先生」を前にしてはただ呆然と口を開けることしかできません。ナチスの暴力や銃にも動じなかったグイドが、想像力の欠如した「先生」という怪物の前には、手も足も出せませんでした。こんな人物に、どうやって自分の妻と子供を、石鹸とボタンにされてしまう恐怖を伝えろというのでしょう。

この「先生」こそ、「イェルサレムのアイヒマン」でハンナ・アーレントが指摘した「悪の凡庸さ」を体現した人物です。ナチスの根幹にある「悪」そのものです。ナチスのホロコーストの中に巨悪を見出そうとして果たせなかったアーレントが、代わりに見つけたのが我々ひとりひとりの中にある凡庸な悪でした。現実に起っている事から眼をそらし、想像力を抑え、常に判断を保留してしまう怠惰な私たち。私たちの中の凡庸な悪の総体こそが、ナチズムのような巨悪の正体であることを、ベニーニは「先生」を通じて訴えかけていると私には思えるのです。

「ライフ・イズ・ビューティフル」は、愛すべき映画です。とくに前半のコメディタッチの明るい場面が私は大好きです。自由なグイドとやがて妻となるドーラとのラブストーリーは、これが永遠に続いてくれたらと思えるほどチャーミングでおかしく、素敵でした。


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この記事に対するコメント
そのナゾナゾは…
まわりのドイツ兵に分からないように、

お医者さんが、イタリア語のナゾナゾにして伝えたのかと

答えは、「ユダヤ人」

助けるすべがないどうすればいいんだ!

っと苛立ってテーブルを叩くシーンですよ。
【2009/07/11 23:27】 URL | 長月 #r1y2oiqA [ 編集]

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【2013/03/11 16:25】 | # [ 編集]


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